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あーとネット・とちぎ サマーミーティング2011

いま、高校生と考える震災とアート アートにできること、できないこと。

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秋山遊歩

日光に住んでる高校1年の秋山といいます。美術は、親が絵画修復をやっていて、
お兄ちゃんが秋山俊也といって、絵を描いている作家さんで、一応、美術には
それなりに関わっている人間なんですけれど、今回、「アートは被災地に何が
できるか」という題名で、絵画は被災には無力でとか、そういう話しがあったんです
けど、俺自身がいろんな美術館で絵を見ていてダメだって思う絵もあって、いいなって
思う絵もあるんで、俺は勉強してるわけではないので、これがこういうふうになっている
からいいなんて詳しいことは言えないけど、心の中で何か感じる。必ず、絵っていうのは
何か力がある。ただ、それが客観的に現実の世界を救えるかっていうのはわからない
というか、絵の力自体がはっきりとわかるってもんじゃなくて未知数なんで、未知数だと
俺は思っているんで。でも、そういう力を信じてみるのも、やっぱり一つの生き方
というか、そういう感じかなと思いました。

話しが長くなりますが、被災地にアートが何ができるかというふうなことを、いま、
ここで考えていますけれど、俺的に思ったのは、逆に被災地がアートに何ができるか
考えて、というか、さっきの話しで、戦争から芸術ができたとか、そういうふうに、
何かしら自然現象にしろ、人がやったことにしろ、そこから芸術が生まれている
というのもあって、この被災の状況を見て救えるかどうというのを考えるよりも、
作家さんたちには、いろんな人に、やっぱり芸術やら美術やらそういったものを
どんどん作っていってほしいなと、俺的には思います。【拍手】

有坂

今回、ステージに上がっているのは女子校生ですが、男子高生の登場も画策したんです
が、実現しなかったんです。が、思わぬところで意見が出て、それも素晴らしい内容で
うれしいです。ありがとうございました。もう時間もあと5分くらいになってきて、
無理にまとめることはないんですがどうでしょうか。今日はわざわざ皆さんの前に
来ていただいた方に、一般の方からいかがでしょうか。

黒崎力弥(田端文士村記念館 学芸員)

私、東京都北区文化振興財団田端文士村記念館の学芸員で黒崎と申します。小泉先生が
いらしているということで御挨拶しなきゃいけないんですが、今回は仕事でもなんでも
なくて、プライベートで参加させていただきました。まず、第一の感想としては、
小泉先生に当館で御講演していただいたんですが、そのときより、はるかに生き生きと
しているというのが、まず、びっくりしてしまいました。高校生が3人位いると
こうもちがうのかと驚きました。

これは枕の冗談といたしまして、今回の震災で私も実は……。神戸の震災のときに、
震災時のボランティアとして避難所閉鎖までボランティアしていました。今回の震災の
ときと、なんかすごいちがうなという感じが私にはありました。それは具体的にいうと、
何かとくに被災には合っていない東京とかが異常にパニックになっているということ。

まあ、それは、次は東京とかが襲われるとか、東京に限らず関東近郊とかも、ああ、
次はうちらの番だというのはあるんですけど、それではない、何かすごい異常な
恐怖感みたいな何かを、この人たち感じてるなと。実際、神戸で震災にあった関西の
知人は、その反応を見て、東京の人たち、こんなに脆いんだとびっくりしたというふうな
エピソードがあります。そういったことは、どうしてなのかなと疑問に思って、
こういったところに個人的に参加したり、私は月に一回、仙台文化館の方でも講座を
受けに行きます。今度は9月4日に受けに行くんですが、そこで報告する価値がある
エピソードとして、いま、ネット上でもツイッターでもキャッチフレーズでも、
「頑張ろう」とか「絆」とか「武士道」とか言う言葉が頻繁に飛び交っているけれど、
その会場での一般的な雑談みたいな場で出てきたんですけれど、そう言われても、
自分たちの周りっていうのは、言葉としては来てるけど、受けたときはうれしいけれど、
個々に見てみるとあまり変わっていない。「絆」とか「頑張ろう」とかという言葉が
飛び交っているときに不思議なことを感じると聞いたときに、まあ、何かこれは
考えさせられることだなあという気がします。

最後に、小泉先生のところにもいってるかもしれませんが「見識の一冊」という
執筆依頼が各美術館、文学館に来ております。当・田端文士村記念館では、坂口安吾の
「堕落論」というのを推薦する予定です。ぜひ皆さん、坂口安吾の「堕落論」をお読み
いただければ、今回のこういった「芸術は何ができるか」といった考えの一つ考察に
なるんじゃないかなという気がいたします。

最後に、仙台の作家で、現在も活躍されている伊坂幸太郎さんは、自分は小説に
何ができるかということに関しては、何もできないんだということで「無力感」を
感じたそうです。ただ、そのあとで、やっぱり何も出来ないんだというところから、
とりあえず、何かを始めようということで、今度、自分の原作作品で「ポテチ」という
作品が映画化されますよね。なんか、こういう、だめだというところから何かやって
みようというリアクションが始まるのも、面白い流れだなと思います。以上です。

有坂

ありがとうございました。では、フロアからはこれまでということで、最後は大人の
二人に、感想でもなんでも結構ですので、それで終わりにしたいと思います。

小泉

いま、非常に良い、私の感じと伝わるような良いお話しだったと思います。長先生にも
言われたけれど、芸術は無力かっていうと、百人がいて百人が素晴らしいと思うような
作品なんて無いと思うんですよ。百人のうち一人の人が勇気付けられるんであれば
御の字で、客観的に100%なんてありえないということを認識しないと、それこそ、
横山大観みたいに「百人のための芸術」なんか言い始めたら、それこそ堕落するんだろう
と思う。もう一回、足場を確認して自分のやれるべきことをやるというだけなんだ
という気がするというのが私の今の感じ方です。

間島

ほとんど同じような感じになってしまいますけれども、直接被災された方という
よりも、まあ、今回の震災で被災地でない人たちも、やはり心の被災をされてると
思うんですね。本当に落ち込んでると思います。日本中のほとんどの人が、この体験を
知ってるわけですから、そういった意味では無力な部分もあるかもしれないです
けれども、それこそ1枚の絵が、その人の心に少しの明かりを灯すことも、希望を
持たせることもできるのではないかと、私は信じています。

私自身も作り手ですので、言葉で仕事をしているわけではないので、やはり、
作ることで自分自身も、もはや救われたいという思いで、これからの制作に
励んでゆこうと思っています。

有坂

ほんと、着地点も見定めないまま、パネリストの方、高校生の力を頼りにしつつ、
話しはかなり広がり深まったんじゃないかと思います。進行の立場で言うことじゃ
ないかもしれないんですが、秋山君の発言で、当たり前といえば当たり前のこと
なんですが、芸術はどんなところにでも生まれてくるという発言が健全で、あの、
素晴らしいと思いました。

今日のこの企画なんですが、〈あーとネットとちぎ〉という、2006年から美術館と
学校、教育機関を、「鑑賞教育」をキーワードに結びつけて連携しようとする
グループから始まったんですけれども、毎月一回、有志が集まってこういう企画を
考えました。今回は、とくに、小杉放菴記念日光美術館の大きな助力を得て、
こういったことを開くことができました。そういう意味では、この館に感謝したいと
思います。いま、4時ですけれども、5時まで、楽しい展示がされていますので、
御覧になってください。全然まとめ方も考えていなかったものですから、もう一度、
パネリストの方、ゲストの高校生に感謝の拍手をしたいと思います。どうも
ありがとうございました。

進行が拙くて、まとまらなかったかもしれませんけれども、本当に、今日はたくさんの
方に集まっていただいて、ありがとうございました。それぞれ震災の体験も胸に秘め
つつですね、今後の活動をしていっていただきたいと思います。

これで終了します。御苦労さまでした。

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