閉じる

あーとネット・とちぎ サマーミーティング2011

いま、高校生と考える震災とアート アートにできること、できないこと。

02

間島秀徳(パネリスト)

間島秀徳  氏

間島秀徳  氏

間島です。あらためて報告という訳ではないのですが、最近の私は、毎日
家にいる限り食事と寝ているとき以外は制作をしています。ここ最近は
猛烈に暑くて本当に大変な日々ですが、本日は高校生や小泉先生とともに
アートに何ができるのか、非常に重要な問題であると思いますので、
私自身も考える良い機会になればと思いやってまいりました。

3月11日のあの震災の瞬間に感じたことを先程、小泉先生にもお話し
したのですが、ちょうど地下鉄の半蔵門線の中におりまして、全く情報が
ありませんでした。その瞬間、大きくゆっくりと揺れた後に緊急停車となって、
その後もしばらく揺れていました。これはなんだか分からないけれども、
世の中で大変なことが起こっているかも知れないということを直感的に
感じました。その後、地下鉄は徐行運転で動き出し、外に出てからは色々な
情報を確認することで、大変なことになっている現実に気付かされる
訳です。自分自身が感じたあの瞬間というものは、たぶん、もう永遠に
忘れることがないぐらい怖い感覚がありました。

その後は何としても自宅に帰らねばいけない強い思いで、茨城まで
帰って行ったのです。自宅に帰って見ると、私自身の家は何とか立って
いましたし、家の中はぐちゃぐちゃになって様々なものが散乱して
いました。交通は遮断され水道も止まり、そんな中くり返し流される
津波や、被災地の映像を呆然と見続けるだけの日々がしばらく
続きました。もうどこにも出られないものですから、色々な情報を頼りに
アーティストとしてというよりも生き残った人間として何が出来るか、
とにかく最悪の事態を想定しなければいけないと。そんな中、とにかく
サッシのすきまをテープで全てふさぎました。放射能というものは本当に
大変なものであることを想定して、自分の判断で未だに貼ってあります。暑くて
今度は剥がさないともう大変なことになってしまいますが、換気扇も厳重に
閉めきって自分が気付くことをやってきました。そんなことをしているうちに、
とにかく私は教える仕事と制作活動を含めて1ヶ月くらいほとんど何も
出来ませんでした。ただ呆然として、思考停止の状態だったのです。

そこから色々なものが動き出したときに、自分の制作に向かっていくわけです
けれども、私自身の作品が今回ここにないので、どんな作品を作っているのか
分かりにくいかと思いますが、どちらかというとポップな作品というよりは、
見る人の感性に訴えかけるような作品ではあると思います。「Kinesis 」という
タイトルでシリーズにしておりまして、意味としては動いているものや
変化するものを表わしますが、もう少し深い意味では生と死を表わす言葉でも
あります。たまたま昨年夏に展示した作品で150 p×880 cmの作品があるのですが、
副題に「デルージ」というタイトルをつけたんです。その言葉の意味と言うのは
大洪水という意味でした。

以前から追い続けているテーマでもあり作品の核でもあるのが水ですが、
最近はタイトルも「Kinesis 」というものになって、水がもつ力であったり
意味というものが、人々の生きていく力にもなるし、制作にとっても非常に
重要なものであるということでずっと大切にしているのですが、ここで付けた
タイトルの「デルージ」というのは大洪水と言う今回の津波のような恐れの
意味合いだけではなくて、人類の長い歴史の中で起こってきた洪水のような
ものというのは、「再生」や「浄化」という意味を含み、必ず起こってきたような
ことを、比喩的な意味でタイトルに使ったんですけれど、それは逆にもっと
「希望」が持てるようなものとして捉えていきたいものなんですが、今回のような
津波を目の当たりにしますと、リアルな現実として途方に暮れてしまったわけです。

作品の持つ力を考えてみたときに、私は今回のような直接被災した場所に、いま、
作品を持って行ったりということはありえないことだと思っています。何か
チャリティで小さなものでもお金に換えたり、それを寄付したりなどという
ことには、参加してはいますが、いま、何が出来るかというと、あまり大きな事は
出来ないような気がしております。知り合いでも、この震災に関わることで
何かが実現したり、聞いている話もそんなに大きなものではないんです。

福島大学の渡辺さんという方が、「こいのぼりプロジェクト」というので、
被災地に同じ大きさの型のこいのぼりを、日本中のアーティストや世界に
呼びかけて、それに絵を描いたものを送ってもらって、それを被災地の
商店街に展示したということを聞いたんです。それは私としては、
いい話だなと思いました。小さな心の隙間を埋めるようなことであっても、
同じ形のものでも全部描いた人、描かれたものがちがうものであるという
こと。それはそれでアートなんじゃないかと思いました。

今回も「アートに何ができるか」ということですが、アートって何なんだろうと、
高校生の人たちもたぶん世代がちがうと、色々な人によって感じ方がちがうと
思います。そもそもアートというものは美術とかそういった造形に関すること
だけじゃないのかもしれませんね。歴史的に見ても、見せ方によって全然そうでは
なかったもののように見えたりすることがアートだったりすることもあると
思います。そういう意味では美術的知識とか経験ではなくて、なにかアイデアに
よっては可能な方法が、もしかしたらあるのかもしれないと思います。高校生にも
そういう話が聞けたらな、と思って今日は来たんですけどね。

かつて、それこそマルセル・デュシャンがいい例だと思いますけれど、便器を
ひっくり返して出しただけで、まさにただの便座にすぎないもので、全然ちがった
見せ方を提示するということは、何を訴えようとしたのか、そういう謎めいたこと
でも何か思わぬことが、気付くことや考えることになったりすることはあるのかも
しれないと思います。私自身の制作としてはこれから時間かけてやっていかなければ
いけないことであると思っていますので。今すぐどうという答えはすぐには
出しにくいというのはあると思います。

有坂

ありがとうございます。いまのは、高校生にはちょっと難しいかも
とは思うのですけれど。

間島

そうですかね。では、また別の話の流れで話します。

有坂

じゃあまず、間島さん、作家の立場ということで、いま、
ほんとうに、率直なところを話していただいて。

間島

茨城大学での小泉先生とのご縁ということでは、あの流されてしまう六角堂で
作品を展示することができたのは、岡倉天心が関わった歴史ある魅力的な場所で、
何としても展示をしたいという話しをしたのがきっかけでした。そこはとても
美しいロケーションで、六角堂の内部の床と天井に作品を展示し、日の出から
日の入りまでを記録したのです。

小泉

いま見ると、水浸しのように見えるよ。

有坂

いままで伏せられていたのですが、サプライズとして、流される前の六角堂に
間島さんは作品を展示されていたということで、この関わりは偶然なんですよ、
ほんとうに。一言そのときの、いま感じたことでもいいですが、何か、感じる
ことはありますか。

間島

日本美術の歴史的な磁場を感じるような、要するに美しいだけではない、特別な
場所だと思っていましたし、私も日本画系の作家の一人として語られるときに、
このような場所で作品を見せるということは、ある意味、挑戦的な目論見があった
のですが、やはり、いつもギャラリーであるとか、美術館である場所とはちがう
場所で展示することは、本来は当然、正面に展示する平面作品を天井や床に置く
ことで、見え方のちがいであったりとか、移り変わる自然光であったり、さまざま
貴重な経験として思い出されます。

有坂

ありがとうございます。なかなかショッキングな映像でしたけれども。ここで
間島さんの発言もいただきまして、じゃあ、高校生。いまの話ですね。いろんな
方向の話があったんですけれども、まずは、どの部分でもいいんです。自分の
受け止めた感想で結構です。あるいは自分の経験とか、まあそういうものも
含めて、話していただければと思うんですけれど、大丈夫ですか。じゃあ、
矢島さんからお願いします。

02