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あーとネット・とちぎ サマーミーティング2011

いま、高校生と考える震災とアート アートにできること、できないこと。

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矢島雅子(ゲスト)

みなさんこんにちは。矢島雅子です。よろしくお願いします。私は、3月11日の
震災のとき、ちょうど英語の授業で、本当になんか今まで感じたことのない恐怖が、
そういう、何でしょう、当日は、その恐怖というよりも驚きの方が、大きかった
です、正直に言うと。で、揺れの長さも大きさも、いままで経験したことのない
ようなもので。

ちょうど翌日は校内の模試があって、友達との会話の中では、さすがにこの地震では
つぶれないで実施するだろうという話しになっていたのですが、全体で避難して
集まったときに、やっぱり先生がたの対応というか、それで非常事態だなというのは
感じました。家に帰ったら停電していたので、機能していなかった信号は、停電だった
のかと、そのとき納得したのですが。情報を知りたくても、テレビはつかないし、
携帯電話もちょうど充電していなかったので、電話で家族と連絡も取れなくて、
ラジオのみしか使えず。緊迫感というか異常な状況。とにかく何か恐ろしい状況に
置かれているんだということを感じました。

やっと電気が復旧してテレビを見ましたら、もう、新聞の報道だけでも、息をのむ
くらいなのに、実際の津波の様子であるとか、あと家族との再会のVTR、家族が
生きていたという、家族が生きていただけで本当によかったと言って泣き崩れている
姿とか見ると、もう、胸が苦しくて、そんな感じです。すいません。いま緊張して
いるので、声が震えているのですけれども。

家族でよく旅行に私は行くのですけれども、東北には結構、行っているので、訪れた
場所のほとんども災害にあっていると、あとから新聞やニュースで知りました。その
なかに地震と津波に関する、博物館とまではいかないのですが、その展示館のような
ものがあって、地震に関しては、栃木県にいながらも少し詳しく知っていました。でも、
その展示のパネルなどに記述してあった、その家や住んでいた人々も、みな流されて
しまったという状況を、このあいだの3月11日の話ではなく、過去のその状態を、
おそらく建築技術もここまで発展していないし。木造建築で、だから流されて
しまったのかなと当時は思っていたのですが。

いま、ここまで発展していても、世界に誇るくらい、誇るまでは行かないかも
しれないのですが、すごく丈夫で立派な科学技術とかも、すべて無になったという
感じは受けました。だから、私も、現代の科学に対して、その進歩に対しておごりが
あったのではないかなと感じています。その原発などもですが。で、話はアートに何が
できるかというほうに戻るのですが、私自身、部活動や学校の授業などで、美術と
関わっている身なのですが、その芸術を極めたりとか、そういう観点ではないので、
考えはおそらく至らないと思います。

率直に私の感じていることを言うと、震災で過酷な状況に置かれているみなさんを、
美術で元気づけるというのは非常に難しいことではないかなと思っています。心の
余裕もぜんぜん生まれていないでしょうし。家族を亡くした痛みというのは、
計り知れないものだと思います。文学や音楽、映画はそういう活力も与えられるし、
ストレスや退屈、また疲労なども、少しは軽減できるとは思うのですが。やっぱり
それらのものと比較すると、人々の役には立てないかなというのが正直な感想です。

でも、美術は、後世に、この3月11日の震災を伝えていくという観点で考えれば、
その瞬間に立ち会った人が、そこで何を感じて、何を思ったのかということを伝える
には、とても大切なものだと思っています。美術には、その色や対象、自分が何を
対象に選ぶのとか、あと、どういう視点で描くのかというような、美術のみに
与えられた要素があると思います。だから作者の感じた全て、そして何を思ったのか
というものを作品に込めることができると思います。一人一人の捉え方の微妙なちがい
とかも、適切に、的確に表現できると思います。私も学校の美術の授業で、鑑賞という
立場で先人がたの作品を鑑賞する機会があるのですが、実際に自分が経験していない
戦争や震災、阪神大震災とかは、ひどいというか、言葉では表せないのですけれど、
そういうことは周りから聞いて生きてきました。

自分が、その写真や映像では知り得ないものを、その作品の作者が何を考えて
何を思ったのかというのを知るという面では、美術は最もぴったりというか。現在、
被災されている方を支えたりとか、助けたりとか、励ましたりという面では
なくて、後世に伝えていくという面で考えれば、アートができることが自然と
見えてくると思っています。以上です。ありがとうございました。

有坂

はい、ありがとうございます。じゃあ、恩田さん。お願いします。

恩田紗代子(ゲスト)

美術部の恩田紗代子です。よろしくお願いします。

震災が起きた日に、学校の校庭にいました。生徒全員が集められて、いままでに
無いような対応だったので、全員が異常な事態が起きているんだということに驚いて
いたり、なかにはやっぱり、異常事態、なんだろう、普段から思いつかないような、
普段から想定外の事態だったので、なんかわくわくというか、こう、言葉では表せない
のですけれど、やっぱり驚いていたりもしたんですが、家に帰ってみたら食器棚が
倒れていたりもして、やっぱり、いま、その程度の被害だったんですけれども、
被災地では、やっぱり大勢の何千人という人が行方不明になったり、死亡者も、
いまでも確認しきれないほど出ていて……すいません。緊張しています。

やっぱり、こういう時にアートが何をできるかっていうことなのですけれども、
なんか、それだけアートで空腹を満たせるわけでも、命を救えるわけでもなく、
倒れた家を直せるわけでも、即時に力になれるわけでもないことを、倒れて
大破した石膏像を眺めて思ったりしました。そのときに力になれなくても、
いまは、メディアでは写真とか情報とか文章が電子化されて、電子書籍なども
普及していますが、それでは、それが壊れてしまえば、全てデータは失われ、
形には残りませんけれども、美術はそれを形に残して後世に伝えていくっていう
力があると思うんです。言葉では表せない、言葉では想像できないことも、
美術として視覚から、読みとってもらえるように、その、後世に伝えていく
ことができると思うんです。

その作者の信条とかその時その時の状況とかを、色・色彩・造形など、緊迫感や、
日本画で横山大観さんが、その震災の後に自由な画風が失われてしまったという
話をしていただいたのですが、やっぱり、そういう影響は画風から、その変化が
読みとれるんじゃないかと思います。いまは何もできない高校生ですけれども、
これから作品を重ね、作品を作って、これから後世に伝えていけるような
作品を自分たちで作っていけたらいいなと思いました。

有坂

 ありがとうございました。では、田中さんお願いします。

田中優里花

田中優里花です。私の兄が仙台に住んでまして、震災の時はぜんぜん人事じゃなく、
すごい心配で、栃木でもあんなに揺れたのに、仙台はどれだけ揺れたのかと。それで
ですね、夏休み中、そんな兄に用事がありまして、仙台に行ったんですよ。新幹線の
なかから景色を見ていたのですけれども、途中に仮設住宅がずらーっと並んでいまして、
震災から何ヶ月たっても、まだこんなに傷跡が残っているのかと現実を目の当たりに
した感じで。こんなことを言うと怒られるかもしれないのですけれども、私は震災で
傷ついた作品を、そのまま見せるのも良いのではないかと思います。ありのままを
見せるというか、それもまた、作品の一部であり、通ってきた道という感じで。

で、話が飛ぶんですけれど、私の父がピカソがすごい大好きでして。むかしは
あんまり好きじゃなかったというか、そんな感じだったらしいんですけど。外国へ
行って、さっき映像で出てきたゲルニカを、実物を見たら、ぞーっと感動したらしく、
いまはすごい大好きになったそうです。やっぱり写真と実物とじゃ、ぜんぜん、迫力と
いうか、感じることもちがうそうです。アートとか芸術で世界を救うとか、戦争を
減らすっということは、私はできないと思うんですけど。でも、すばらしい絵を
見ると、ぞーっとくるし、元気づけられると。震災で傷つけられた心を癒し、元気に
することも可能だと思います。

あの、映画の「フランダースの犬」の主人公ネロも、ルーベンスの絵が見たくて、
教会まで頑張って行ったじゃないですか。やはり、アートには人を引きつける力が
あると思います。以上です。

高校生たち

高校生たち

有坂

ありがとうございました。ここまでステージにいるみなさんに、それぞれ発言して
いただいたのですけれども。

ちょっとここで、休憩を入れたいと思います。3時15分まで休憩ということで、
よろしくお願いします。

休憩

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