第3回〈鑑賞ツール研究会〉の報告
日時◆2007年6月15日(金曜日)
◆18時00分〜
会場◆栃木県立美術館 普及分館ラウンジ
参加◆大学関係者 4名
◆中学校教員 1名
◆小学校教員 2名
◆美術館学芸員 5名
◆合計 12名
2007(平成19)年6月15日、第3回〈鑑賞ツール研究会〉が栃木県立美術館の普及分館ラウンジを会場に開催されました。
これまでの討議の中で、対話型鑑賞についてのさまざまな意見が出るようになってきたことを踏まえ、今回は、中学校の先生が以前に子どもたちを対象に行なった対話型鑑賞に改良を加えて、研究会の参加者を相手に実演していただき、その後、内容について検討しました。
【今回の議題】
■対話型鑑賞の実践
◆今回の対話型鑑賞の実践には、3人の画家による《風神雷神図屏風》を使用。
◆俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一の各画家による、三者三様の描き方を比較できる画像を準備。
◆本日のトーカーには、以前に、この作品を用いた授業での実践経験がある。
◆1名のトーカーと12名の鑑賞者によって対話型鑑賞を行なう。
■実践のあとで▼トーカーから
●実際の授業のときには、「日本の美術も面白い」ということを生徒に伝える"ねらい"があった。
●これまで、生徒たちがあまり見たことがない作品だったので、はじめに、「風神雷神図屏風」というタイトルと「俵屋宗達」という作者名を伝えた。
●作品がどのような構図から成り立っているかを、ペアで考えさせる活動を行なうことにより、その作品に興味をもたせたあと、スライド映写とカラーコピー(A3判)を用いて鑑賞した。
●知識を与えることを目的とするのではなく、対話をしながらじっくりと作品を鑑賞することで、いままで気が付かなかった部分が見えるようになる。
●また、別の機会に「琳派」の作品を見かけたときにも、興味や関心を持って見ることができるようになることを目的とした。
●その目的を達成するため、生徒から出た意見をつなげて、「浮いているみたい」→「背景がない」→『余白の美』、「雲が汚れのように見える」→「雨雲なのかもしれない」→『たらし込みの技法』というように、最後に少しだけ解説を加えた。
■実践のあとで▼学校の先生から
●学校行事として行なう場合には、とくに配慮しないこともあるが、対話型鑑賞を、授業として実施するときには、評価の問題を考える必要がある。
●授業としての対話型鑑賞における評価は「発言内容」「鑑賞の際の様子」「感想」などから判断することが多い。
●どれだけ熱心に作品を見ているか、面白い見方をしているか、他者の意見も聞いているか、といったことが対話型鑑賞における評価の基準となる。
●対話型鑑賞は本来、本物の作品を前に行なえるのが望ましい。
●作品の視覚情報のみで対話と授業を進めることには、むずかしい点もあるので、必要に応じてソースを提供し、効果を上げることも考慮すべき。
●学校で対話型鑑賞法を取り入れるときには、「文章化」という作業を通じて国語科との協同も考えられる。
●国語科では教えることのできない、美術ならではの言葉を養うことも必要ではないか。また、美術作品を見て、美術の話しをするのだから、やはり、美術科の範疇に入るのではないか。
●対話型鑑賞は、作品を見て、"楽しむ"ことが目的となっている点が、学校では批判されやすい。あくまでも授業として行なっていることを明確にするためにも、適切な評価が必要とされる。
■実践のあとで▼美術館の学芸員から
●美術館における対話型鑑賞の実践では、鑑賞者が感じているものを対話によって引出すことが肝要で、誘導になってはいけないと、いつも意識している。
●美術の授業での鑑賞能力の評価とは、具体的にはどういうことなのか。鑑賞能力を評価することは可能なのだろうか。
●対話型鑑賞を行ないやすい"ねらい"を設定し、それを評価することは可能ではないか。たとえば、「創造的な鑑賞を行なう」ことを"ねらい"とし、「創造的な鑑賞をすることができたかどうか」を評価するというように……。
■次回の研究会
◆次回は、「言葉のツール」シリーズの最終回として、小杉放菴記念日光美術館において開催し、これまで4回にわたって検討してきた対話型鑑賞の傾向と対策について、さらに検討を深めていく。有志には、対話型鑑賞の手法を用いた授業案やトーク案を考えてきてもらう。